第一番 那智山 青岸渡寺(なちざん せいがんとじ)
(なちざん せいがんとじ)
那智山は熊野三山(熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社の三社と那智山 青岸渡寺の一寺)の一つ。熊野信仰の霊場として長い歴史がある。もともと那智の滝を中心にした神仏習合の一大修験道場だったが、明治初期に青岸渡寺と那智大社に分離した。今も寺と神社は隣接していて、双方を参拝する人が多い。
またミシュラン・グリーンガイド・ジャポンで熊野古道、那智の滝、熊野三山は「わざわざ旅行する価値がある」三ツ星として掲載されているそうです。
本堂および宝篋印塔は国の重要文化財。ユネスコの世界遺産『紀伊山地の霊場と参詣道』(2004年〈平成16年〉7月登録)の一部
三重の塔と那智滝
空気感が素晴らしく、三重の塔からの那智の滝も絶景でした。
御詠歌 補陀洛や 岸打つ波は 三熊野の 那智のお山に ひびく滝津瀬
歴史
熊野三山の信仰が都の皇族・貴族に広まったのは平安時代中期以降であり、青岸渡寺および隣接する熊野那智大社についても創建の時期等については判然としない。伝承では仁徳天皇の時代(4世紀)、天竺(インド)から渡来した裸形上人による開基とされ、同上人が那智滝の滝壺で得た金製の如意輪観音を本尊として安置したという。後に推古天皇の勅願寺となり、6世紀末 - 7世紀初に生仏聖(しょうぶつひじり)が伽藍を建立し、丈六の本尊を安置して、その胎内に裸形上人感得の如意輪観音を納めたという。以上はあくまでも伝承であるが、那智滝を中心とする自然信仰の場として早くから開けていたと思われる。中世から近世にかけて、隣接する熊野那智大社とともに神仏習合の修験道場であり、如意輪堂と称されたその堂舎は、那智執行に代表される社家や那智一山の造営・修造を担う本願などの拠点であった。
明治時代に神仏習合が廃されたとき、熊野三山の他の2つ、熊野本宮大社、熊野速玉大社では仏堂は全て廃されたが、熊野那智大社では如意輪堂が破却を免れ、のちに信者の手で青岸渡寺として復興した。寺号は秀吉が大政所の菩提を弔うために建てた高野山の青巌寺に由来すると言われる。
●住所
●交通
JR京都,新大阪,天王寺より、JR名古屋より勝浦下車 路線バス、タクシーあります。
バス、自家用車は阪和自動車道からR42号線また、名古屋方面からは伊勢道勢和多気ジャンクション、熊野街道大台でR42号線に乗り那智山道へ
●駐車場 有 (附近バス50台,自家用車300台)
●拝観料 不要
●拝観時間 5:00〜16:30
●納経時間 5:00〜16:30
●電話 0735-55-0001
●FAX 0735-55-0757